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三歳になった娘は一日に何十回も、「見て〜」と呼びかけてきます。声の方を見るとお絵かきをしていたり、手の平に乗せた石ころとかをニコニコしながら私に見せるのです。最近のブームはジャンプです。30センチぐらいの箱に登ってから、「見て〜」といいます。自分に注目が集まったのを確かめてから、飛び降ります。そして得意気な顔でこちらを見るので、私は驚いた表情で「すご〜い!」と応えます。それが延々と続きます。
こちらもつい他のことに注意が向いてしまい、「見て〜! 見て〜」と呼びかけられても、生返事をして娘の方を見ないことがあります。しばらくして静かになったので、どうしたのだろうと彼女の方を見ると、箱の上でじっと私の顔を見つめたまま、私が彼女の方を見るまで待っているのです。
見てもらうことは、必要不可欠な「心の栄養」
大人の目から見ると取るに足りないことでも、子供にとっては大きな発見であり、ワクワクすることなのです。だから自分がしていることを認めてもらいたいし、それを親と分かち合いたい、一緒に楽しみたいのです。そして何かをできるようになった自分をほめてもらいたいのです。
「見て」の裏には、「心をこちらに向けてほしい」「今の自分のことをわかってほしい」という気持ちがあるのです。そして、見てもらうことで、自分の存在は承認されていると実感できるのです。子供にとっては必要不可欠な、心の栄養なのです。
「見て〜。見て〜」と何度呼びかけても見てもらえなかったら、その子は「どうして見てくれないの」と、大人に怒りをぶつけることで自分の気持ちを伝えようとするでしょう。それでも見てもらえないと、とても傷つきます。これが繰り返されると、見てももらえない自分は、見るに値しない、取るに足りない存在なんだ、と深く落ち込んでしまいます。
この状態は、心か体が壊れてしまうほど苦しいものなので、この気持ちを感じないで済むように、何とか親の心をこちらに向けてもらおうと、別の方法でアピールし始めます。
一つは、どうしても親が注意を向けざるをえないような問題を起こすやり方です。自分に関心を向けてもらえない状態がずっと続くと、たとえ叱られたり嫌がられたりしてもいいから、こちらを見てほしいと強く思うからです。
問題児になることは、さほど努力を要しません。でも本当は、ありのままの自分を見てもらいたいのです。問題児になりたいわけではないので、心は痛みます。まるでハートに自分でナイフを突き立てて血を流しながら、親の注意を引いているようなものです。そして、このパターンから抜けられないまま大人になっている人も大勢います。
自分を傷つけた相手の価値観を取り入れる
もう一つは、親や社会から認められる人間になることです。有能な人、真面目な人、可愛い人、強い人、いわゆる良い人になろうとします。そのために、大人と同じ価値観を持った部分を、新たに自分の心の中に作っていくのです。
心が傷つくと、そこから立ち直ろうとして、自分を傷つけた相手の考え方、価値観、言動だけでなく、怖れなどの感情パターンもすべてそっくり自分の中に取り入れることが起こります。
これは、戦争で日本がアメリカに負けて傷ついて、それ以降、アメリカの価値観を取り入れて小さなアメリカのような国になっていったのと似ています。そうすることで、もう傷つかないで、辛い気持ちにならないで生きていくことができるのです。
でもそれは、ありのままの自分を認めてくれなかった親と同じような自分を、心の中に作り出すことです。これが後々になって、何とも言えない、深く裏切られたような感覚を生み出します。
もともとの自分は、消えてなくなってしまうわけではないので、新しくできた大人の価値観の部分から「こんなダメな自分がいるから、辛い気持ちになってしまうんだ」と、嫌われます。
嫌われているうちに、そんな自分を恥じるようになります。存在していて申し訳ないような気持ちになるのです。もともとの自分は、誰にも認められないまま、次第に奥の方に引き籠もっていきます。
この自分のことを、『認められない自己』といいます。そして、新しい部分が前面に出てきて、自分全体を取り仕切るようになるのです。
それでも何かの拍子に、見捨てられたような気持ちや辛い気持ち、こうしてほしいという気持ちが強く出てきます。普段は出てこないところに追いやられてしまっている『認められない自己』が出てくるのです。
しかしすぐに、「そんなこと言って何になるの、何くだらないこと言っているの」と圧殺して見ないようにしていきます。するとますます、『認められない自己』がないがしろにされて、本来の自分のものではない価値観に従って生きていくことになります。
だから、いくら周りから評価されるようになっても、極めつけのところで誰にも見てもらえていない寂しさ、悲しみ、孤独感が、大人になってもずっと残ります。
余談ですが、子どもの世界で起こる痛ましいいじめも、いじめる側、いじめられる側、双方の心の中で起こっている、『認められない自己』を排除しようとする葛藤が、外の世界に映し出されて起こっているのです。
人に認めてもらうための価値観が自分を裏切る
A子さん(35歳)は仕事のできる有能な人です。彼女の上司(42歳)もまたとても頭の良い有能な女性で、A子さんは「こんなにすごい人に出会えて本当に良かった」と思っていました。尊敬する上司のもとで働けるのが嬉しく、長時間のサービス残業も「能力を伸ばせば、もっと効率を上げられるのだから」と思って働き続けてきました。
今では入社したときの10倍ぐらいの仕事をこなしているのに、仕事量は増える一方です。友達から働きすぎじゃないの、と言われても、彼女は「与えられた仕事を時間内にこなせないのは自分の能力が低いからだ。そんなことで文句を言うのはおかしい」と思っていました。
ところが、ある会議の席で例の上司から「自分の意見が通らないからといって、腐っているんじゃない」と言われて、A子さんは非常に落ち込んでしまいました。
頭では上司の言わんとしていることはわかるのですが、「何でそんなこと言うの。私が一生懸命頑張っていることをわかってくれていると思っていたのに…」という気持ちが抑えられなくなったのです。
なぜこんなにも落ち込んでしまうのか、自分でも説明がつかないくらい、深く裏切られたような気持ちになったそうです。
そこでまずA子さんに、裏切られた気持ちを感じていってもらいました。すると、2歳のときに妹が産まれたことが浮かんできました。
「周りの大人がお祝いムードになっているから、自分もニコニコしていたけど、実際は何にもいいことがなくて、今まで自分だけを見てくれていた母親が、妹のことで手いっぱいになって、私のことは後回しで、全然こっちを見てくれなくなった。
それでも『お姉さんなんだから』と言われるたびに、良い子でいようと思って、ずっとガマンして、頑張って良い子をやってきたんだなぁ…」と、A子さんはつぶやきました。
「自分の方を見てもらいたいのに、見てもらえない小さな私が見えている。『ずっと見てもらえなくて辛かったね』とその子を認めてあげるのがいいのかな、とも思う。でも今の私には、その子のことを可哀相に思えない」と言います。
その子の気持ちを大切にして、認めてあげようとすると、「今まで頑張ってきた自分は何だったの」という気持ちが出てきます。そして幼い自分に対して、「いつまでそんな甘えたこと言ってるのよ。そんなこと何の役に立つの」と、ますます責める口調になってしまうのです。
しばらくして私が、「今のあなたが幼いA子ちゃんにしていること、職場の上司があなたにしたことと、似ていませんか?」と言うと、A子さんはハッと息を呑みました。
自分の中の裏切り者は、同じような人物を人生に引き込む
信頼していた上司に裏切られたと感じた彼女の心の中には、親に無条件で愛されたかった自分と、認めてもらうために頑張ってきた自分という、二人の自分がいます。
今まで頑張ってきた自分が、「私がこんなに自由じゃないのに、子どもだからといって甘えるのは許せない」という気持ちで、幼いA子ちゃんを責めたくなってしまうのです。傷ついた自分を解放したいのに、自分の中に裏切り者がいるような状態です。
A子さんは、冷たい上司のことをひどいと思っていたのに、自分の中にも自分の気持ちをわかってくれないもう一人の自分がいたことに気づいて、愕然となりました。
彼女は、自分と同じ価値観を持っている今の上司に出会って、「こういう人とだったら、やっていける。そして私をもっと成長させてくれるに違いない」と思ったそうです。頑張って働いてきたのは、尊敬する上司に認めてほしかったからです。
でもいくら頑張っても、次々に仕事を増やされるだけで、ちっとも認めてもらえている感じがしないし、どれだけやっても「自分なんてたいしたことない」と思ってしまうのです。
自分でも意識できない心の奥底では、A子さんはありのままの自分のことを「自分なんてダメだ」と思っています。だから、実際の成果にかかわらず、頑張り続けてしまうのです。
自分の中にいる裏切り者は、心の外側の世界でも彼女の上司のような、同じ価値観を持つ人物を人生に引き込みます。そして、その人物からも裏切られたような気持ちを感じさせられたり、都合良く使われてしまったりします。
そうすることで、ありのままの自分でいては、この世の中で強く生きていくことは出来ないんだ、だからそんな自分は捨てなければならないんだということを、自分で自分に思い知らせようとしているのです。
『認められない自己』の思い
本来、仕事で頑張って成果をあげるのは、とても自然なことです。しかし、『認められない自己』をないがしろにしたままで頑張り続けていでも、その成果を認められている感じがまったくしません。
逆に、誰かに利用されているような感覚をもったり、実際にそのようなことが起こったりします。ここで、『認められない自己』が本当はどうしてほしいのかをわかってあげて、そのようにしていくと、頑張ったことが自分に還元されて来るのです。
A子さんの自我は、認めてもらいたがっている子供の頃の自分を受け入れることができませんでした。
自我が感じている怒りの背後にある、見捨てられている感覚に辿り着くために、「小さいA子ちゃんはどうしたい? どんな存在だったら、安心して信頼できる?」と聞いてみました。
すると、毛のふさふさした美しい猫が横になっていて、お腹のところに赤ちゃん猫が寝っ転がって安心しているイメージが出てきたと言います。
そこで、ソファーを母猫のお腹に見立ててもらい、寝っ転がってもらいました。子猫になったA子さんは、母猫のお腹のところに、体を丸めてうずくまりました。
どのくらいそうしていたでしょうか。ゆったりとした時が流れ、やがて子猫は一筋の涙を流しました。体から力が抜けていき、深く大きな呼吸に変わっていきました。
A子さんは子供の頃の自分ではなく、子猫になることで、『認められない自己』がずっと抱いていた、親に見捨てられてしまった感覚を、手放すことができたのです。
このようなワークを何回も積み重ねていくことによって、彼女の中の『認められない自己』の悲しみがどんどん癒されていくと、上司との関係や仕事との関わり方も自然と変わっていくことでしょう。
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